マーティン・ルーサー・キング・ジュニアA
                   〜コルトレーンとの接点



公民権運動の最高指導者だった
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの生まれ育った場所は、
アトランタの中心部から東へ10分程車で走った
スイート・オーバーンと呼ばれる黒人居住区にあり、
生家や夫妻の棺が安置されているキング・センター、
その向かいにあるビジター・センターを
含めた
全長1kmほどの地区が国の史跡に指定されている。
 
せっかくキング牧師のゆかりの地を訪ねるのだから、
多少の知識は身につけておこうと
ネットで彼の経歴や活動を拾い読みし、
その偉業に敬意を表しながら墓参りをしたわけだが、
それは今思うとあまりにも薄っぺらな知識で、
キング牧師のことを知っているつもりに
なっていた自分が恥ずかしく思われる。
もしも再び彼の前に立つことができるとしたら、
心の底から称賛の言葉が出てくるにちがいない。
少なくとも今はそんな気持ちになっている。
 
私がキング牧師国立歴史地区を訪れたのは昨年の4月8日で、
その旅行記を書き出したのはちょうど1年後だ。
第1回目の記事を書いた後、
キング牧師の人柄や経歴について簡単に紹介しようと思い、
図書館で何冊か彼の伝記や著作物を借りて読むことにした。
ところが、いくらページをめくってもいっこうに内容が頭に入ってこない。
そのうち、学生の頃、
レポート提出のために無理やり読んだ学術書を読んでいるような気分になり、
途方に暮れているうちに貸出期限が来て
返却と同時にまた同じ本を借りるという状態がしばらく続いた。
 
ある本には彼のスキャンダラスな一面が露骨に書かれており
それを知った時は非常にショックだった。
キング牧師に限ってそんなことはないと信じていたからだ。
しかし事実は事実として受け止めなくてはいけない。
それをどう扱うか悩んだ時期もあったが、今は冷静に受け止めている。
 
図書館で本を借りても埒があかなかったので、
以下のような本を8月に買った。
 『マーティン・L・キング』 梶原寿 著/清水書院
 『キング牧師とマルコムX』 上坂昇 著/講談社現代新書
 『アメリカ史のなかの人種』 山田史郎 著/山川出版社  
 
まず、『マーティン・L・キング』から読み始めたのだが、
案の定、彼が神学校時代に学んだ思想のところでつまずいてしまった。
キリスト教や社会哲学と無縁な生活を送っている私にとって、
ウォルター・ラウシュンブッシュの福音主義的自由主義や
ラインホールド・ニーバーの現実主義がなかなか理解できなかったのだ。
遅々として物事がはかどらず、途中で投げ出したい気持ちになったが
そんな時は音楽の力を借りてリラックスすることを心がけた。
 
安らぎが欲しい時によく聴く音楽がある。
それはジョン・コルトレーン・カルテットの『BALLADS/バラード』だ。
夏の暑い盛りに幾度となくこのアルバムのお世話になった。
ブルーな気持ちになっているとコルトレーンのサックスが優しく語りかけてくれる。
歌うように奏でる叙情的な音色と洗練されたフレーズは
マッコイ・タイナーの美しいピアノの響きと溶け合って
疲れた心を芯からほぐしてくれた。
「何て素晴らしいサウンドなのだろう」とうっとり聴いているうちに
気持ちがキング牧師から離れてコルトレーンにいき、
『ジョン・コルトレーンの世界』
というDVDまで購入してしまった。
 
それは60分という短い時間だったが、
関係者の証言インタビューといくつかのライヴ映像が収められており
彼の精神世界や音楽活動を知るにはうってつけのDVDだ。
特に興味深かったのは
1955〜60年の4月まで在籍したマイルス・ディヴィス・バンドの演奏風景だった。
『ソー・ホワット』でマイルスがソロを吹き終え、
コルトレーンのソロが始まった途端、
マイルスは後ろにさがってタバコをふかしながら
そしらぬ顔で関係者たちと言葉を交わすのである。
しかし、マイルスの耳はダンボのように大きくなって
演奏を聴いているのがよくわかった。
マイルスから多くのものを学んだとコルトレーンは言っていたが、
お互いに才能を意識し合って切磋琢磨していたことは
この映像から察することができる。
 
その後マイルスから独立して、
マッコイ・タイナーやドラムのエルヴィン・ジョーンズ、
ベースのジミー・ギャルソンを率いてジョン・コルトレーン・カルテットを結成。
大ヒット曲『マイ・フェイバリット・シングス』の
ベルギーでのライヴ映像が紹介されていたが
彼らの演奏している姿は圧巻で、まさに神がかっていた。
個々の魂がマグマのように熱くなり、
それがぶつかり合いながらひとつになっているのが
ひしひしと伝わってくるのだ。
私はその凄まじいエネルギーに圧倒されながら人知を超えた才能にひれ伏した。
 
素晴らしい演奏と共に
私はますますコルトレーンの世界に引き込まれていったが、
突然現実に引き戻されてしまう。
コルトレーンの妻であり
マッコイ・タイナーの後釜となってバンドを支えたアリスの談話が流れ、
「彼が精神的に成長すればその成果は音楽となって表れ、
『至上の愛』以降、
より高い精神へ到達しようとしていた。」とコメントした時、
突如ガンディーやキング牧師の映像が映し出されたのだ。
無知な私はコルトレーンがキング牧師をトリビュートした
『リバレンド・キング』なる曲を
作っていたことを知らなかった。
『アラバマ』と題された曲は、
1963年、人種差別によってアラバマ州の教会に爆弾が投げ込まれ、
4人の少女が亡くなった事件を悼んで作った鎮魂歌だそうである。
他に『ピース・オン・アース』や『ディア・ロード』という曲を作り、
スピリチュアルな方法で平和を訴えたそうだ。
 
この公民権運動に関する一連の映像は
私にとってあまりにもタイムリーだったので
「早くキング牧師に取り組みなさい」というお告げのように思われた。
ちょうどその頃、長らく更新していなかったにもかかわらず、
私のサイトを時折開いて
まだかまだかとチェックしてくださっている方々がいると知り、
感謝の気持ちと共に頑張らなくてはいけないと強く思うようになったのである。
「更新を楽しみに待っている」という言葉が今の私にとって何よりも嬉しい。
たかがホームページの文章で何をいったい悩んでいるのかと嘲笑されそうだが、
その人物を自分なりに理解してからでないとスムーズに言葉が出てこないので、
妥協することはどうしてもできないのだ。
 
こうなったら「キング牧師ノート」を作って、
梶原氏が著した『マーティン・L・キング』の内容を
まとめることから始めてみようと思い、専用のノートを1冊用意した。
ノートに要点を書き写すなどという面倒くさい作業は
学生の時以来やっていなかったが、
ようやく踏ん切りがつき、気持ちを奮い立たせて取り組むことにした。
いざ始めてみると意外と集中してできるものである。
パソコンに頼り、字を書くことが極端に減った昨今、
やはり実際にペンを持って字を書くことは
脳の活性化のためにも必要だと実感した。
 
まもなく例のラウンシュンブッシュと
ニーバーの思想が記されているページに辿り着き、
心しながらゆっくり読み進めてノートに要点を書いていったら、
こんがらかった糸がスッと解けるように、
彼らの言わんとしていることが理解できたのだ。
いったん脳の中に回路が形成されると、
難解に思われていた言葉もスラスラ頭に入ってくる。
多分その時からだろう。
キング牧師が遺した言葉がどんどん心に響いてくるようになったのは。
途中からノートに書き写さなくても彼の思考方法がつかめるようになり、
彼の信念や信条が手にとるように理解できた。
 
他の2冊も急ピッチで読み終え、新たに本を購入した。
それはアンドリュー・ハッカーというアメリカの政治学者が著した
『アメリカの二つの国民ー断絶する黒人と白人』である。
この本に書かれている衝撃的な事実は
人種問題にあまり関心がない日本人にとっては
全くピンとこない内容かもしれない。
しかし、私はこの本を読むことによって、
キング牧師がめざした社会がどんなものであったのかを
十分想像することができたのである。
 
そして、キング牧師を知れば知るほど、
彼の人生や主義主張をコンパクトに説明することなどできないという心境になり、
彼の生い立ちから39歳で暗殺されるその時までを、前掲した書物を参考にしながら
自分なりの言葉で詳しく伝えたいと思うようになった。
なぜキング牧師にそこまで入れ込むのかと聞かれたら、
多分こう答えるだろう。
私にとってアメリカの人種問題はもはや対岸の火事ではないということを。
今なお真の自由を求めてもがき苦しんでいる友人たちがそこにいるからである。
 
<08・10・12>









Martin Luther King, Jr.